研究室発足前の研究内容

研究の背景

 1990年代以降、原子気体を超低温まで冷却する技術が発達し、ついには原子の運動に関する最低エネルギー状態である量子縮退気体の生成が可能となりました。このような気体の性質は、原子間の相互作用に大きく影響されます。一般に、低温においては、粒子同士の衝突・相互作用はs波散乱によるもののみとなります。1995年のBose-Einstein凝縮(ボソンにおける量子縮退)の実現以来、ほとんどの実験でレーザー冷却の容易なアルカリ原子が使われてきましたが、アルカリ原子同士の相互作用はs波散乱のみによってよく記述されます。そのため、アルカリ原子の量子縮退気体は、ほとんどの場合に、s波散乱の効果を取り入れた理論でよく記述できることが実験的・理論的に示されてきました。s波散乱は、原子間距離の6乗に反比例する短距離力であり、かつ方向に依存しないという性質を持ちます。

 

 一方、アルカリ原子の実験が進んだ2000年代に入り、極性分子や強磁性をもつ原子などを用いた場合、粒子間に双極子相互作用とよばれる全く別の性質をもった相互作用があり得ることが指摘されるようになりました。双極子相互作用は、粒子間距離の3乗に比例する長距離力であり、方向によって符号が変わる異方的な力です。また、このような力を3次元空間で積分すると発散します。s波散乱とは大きく異なるこうした特異な性質のために、双極子相互作用をもつ粒子を量子縮退まで冷却することで、従来知られていたアルカリ原子気体の量子縮退気体とは全く異なる振る舞いが見られるはずである、との期待がされるようになりました。

 

 双極子相互作用の物理を超低温で探究する舞台として考えられてきたのが、極性分子、強磁性原子、そして原子のリュードベリ状態です。それぞれの大まかな性質を次の表にまとめました。

 

種類

冷却のしやすさ

寿命 (s)

双極子の大きさ (Debye)

極性分子

極めて難しい

~ 0.1(密度による)

~ 1

強磁性原子

やや難しい

> 10

~ 0.05

リュードベリ状態

容易

~ 0.0001

~ 1000

 

 

量子縮退した強磁性原子気体の研究

 アルカリ原子よりはるかに大きな磁気モーメントを持つ原子として、最初に量子縮退までの冷却に成功したのはCr(クロム)です(参考文献1)。Crを用いた先駆的な研究により、双極子相互作用が量子縮退気体に及ぼす影響が明らかにされてきました。その後、Crよりさらに大きな磁気モーメントを持つ原子として、Dy(ジスプロシウム)、Er(エルビウム)、Tm(ツリウム)、Eu(ユーロピウム)といった強磁性の希土類元素が冷却の対象として考えられ始めました。これらの原子は内部状態が極めて複雑である、という大きな問題があり、冷却は難しいと考えられていましたが、2006年になり、Erに対してレーザー冷却が可能であることが示され、これらの元素に対する研究が注目されるようになりました。

 

 我々は、まずErのボソン核種に対し、それまでに実現されていたものとは異なる、線幅の細い(つまり、より低温まで冷却できる)光学遷移を用いて、効率よくレーザー冷却ができることを示しました(参考文献2)。続いて、レーザー冷却されたEr原子気体を直接光双極子トラップに捕捉し、その中で蒸発冷却を行うことで、Bose-Einstein凝縮を生成できることを示しました(参考文献3)。同時に、この論文において、希土類元素で初めてとなるFeshbach共鳴(原子間のs波相互作用の制御を可能とする現象)の観測と、これを活用した、凝縮体のd波崩壊現象の観測も報告しました。

 

 さらに、我々はErのフェルミオン核種に対しても研究を進めました。フェルミオン気体の量子縮退までの冷却は、ボソン気体の冷却よりも困難です。なぜなら、ボソンは低温において一定のs波散乱を示し、蒸発冷却が可能であるのに対し、フェルミオンの同一粒子同士は低温において衝突せず、蒸発冷却の適用が不可能となるためです。それまでフェルミオンの原子気体の蒸発冷却では、2つのスピン状態や2種類の原子などを同じトラップ内に捕捉し、s波散乱を誘起する必要がある、との常識がありました。今回、我々は、Erのフェルミオン核種同士は、同一粒子であっても双極子相互作用によって衝突することを示し、これを利用した単一成分フェルミオン気体における蒸発冷却、という新しい手法によって、初めて双極子性の強いErのフェルミ縮退気体を生成しました(参考文献3)。

 

 また、このErのフェルミ縮退気体において、Er原子同士の衝突が異方的であるために、熱的緩和もまた異方的であること(参考文献4)や、強い双極子相互作用によってフェルミ面が歪んでいること(参考文献5)なども実験的に示しました。

 

 この他、Er原子気体におけるFeshbach共鳴は、量子カオス的振る舞いを示すことを見出した(参考文献6)、2つのEr原子を会合することで非常に磁性の強い超低温分子を生成した(参考文献7)、Er原子気体を光格子に入れることでBose-Hubbard模型に双極子相互作用を取り入れて拡張できることを示した(参考文献8)、といった成果が得られました。

 

※この研究は、インスブルック大学(オーストリア)・Ferlainoグループで行われたものです。

 

参考文献
1. Bose-Einstein Condensation of Chromium
Axel Griesmaier, Jorg Werner, Sven Hensler, Jurgen Stuhler, Tilman Pfau, Phys. Rev. Lett. 94, 160401 (2005).

 

2. Bose-Einstein Condensation of Erbium
K. Aikawa, A. Frisch, M. Mark, S. Baier, A. Rietzler, R. Grimm, F. Ferlaino
Phys. Rev. Lett. 108, 210401 (2012).

 

3. Reaching Fermi degeneracy via universal dipolar scattering
K. Aikawa, A. Frisch, M. Mark, S. Baier, R. Grimm, F. Ferlaino
Phys. Rev. Lett. 112, 010404 (2014).

 

4. Anisotropic relaxation dynamics in a dipolar Fermi gas driven out of equilibrium
K. Aikawa, A. Frisch, M. Mark, S. Baier, R. Grimm, J. L. Bohn, D. S. Jin, G. M. Bruun, F. Ferlaino
Phys. Rev. Lett. 113, 263201 (2014).

 

5. Observation of Fermi surface deformation in a dipolar quantum gas
K. Aikawa, S. Baier, A. Frisch, M. Mark, C. Ravensbergen, F. Ferlaino
Science 345, 1484 (2014).

 

6. Quantum Chaos in Ultracold Collisions of Gas-phase Erbium Atoms
Albert Frisch, Michael Mark, Kiyotaka Aikawa, Francesca Ferlaino, John L. Bohn, Constantinos Makrides, Alexander Petrov, Svetlana Kotochigova
Nature 507, 475-479 (2014).

 

7. Ultracold Dipolar Molecules Composed of Strongly Magnetic Atoms
A. Frisch, M. Mark, K. Aikawa, S. Baier, R. Grimm, A. Petrov, S. Kotochigova, G. Quemener, M. Lepers, O. Dulieu, F. Ferlaino
Phys. Rev. Lett. 115, 203201 (2015).

 

8. Extended Bose-Hubbard Models with Ultracold Magnetic Atoms
S. Baier, M. J. Mark, D. Petter, K. Aikawa, L. Chomaz, Zi Cai, M. Baranov, P. Zoller, F. Ferlaino
Science 352, 201-205 (2016).

超低温極性分子の研究

 極性分子は、強磁性原子に比べて大きな双極子モーメントを持ち、なおかつ比較的長い時間安定であることから、双極子相互作用の物理を探究するだけでなく、量子計算の舞台としても期待されています。ただし、極性分子に関して最も大きな問題となるのが、超低温までの冷却が非常に困難である、という点です。これは、分子が極めて複雑な内部状態を有しており、原子において成功を収めてきたレーザー冷却が、ほとんどの場合に使えない、という事情によります。

 

 超低温の極性分子を生成するために有効な手段として考案されたのが、レーザー冷却や蒸発冷却などで充分に冷却された原子を加熱なく会合させることで、超低温の分子を生成するという手法です。すでに1990年代の半ばから、光会合や磁場会合といった手法により、非常に浅く束縛された分子を生成できることは示されていましたが、こうして作られた分子はほとんど双極子モーメントを持たず、しかもお互いの衝突に対して不安定である、という問題がありました。充分大きな双極子モーメントを持ち、しかも衝突に対して安定であるのは、振動状態および回転状態、双方の基底準位にある分子だけであると考えられます。2008年になり、欧米のグループにより、磁場会合で生成した浅く束縛された分子を、誘導ラマン断熱遷移(STIRAP)という量子光学的な手法により、振動・回転基底状態まで加熱なく移行する、という技術が開発されました。

 

 我々のグループでは、このSTIRAPを光会合により生成した浅く束縛された分子に対して適用し、振動・回転基底状態の超低温分子を生成する、という技術を開発しました(参考文献1)。この手法は、量子縮退気体を用いる磁場会合を使った手法と比べ、レーザー冷却直後に適用できるために、2桁程度高速に振動・回転基底状態の分子を生成できるという利点を持ちます。この高速性は、特に多数回の分光を行う必要のある、分子の精密測定の実験において威力を発揮すると期待されます。また、この論文において、同時に、超低温分子の励起状態をそれまでの手法より2桁程度高い精度で分光する新しい分光手法を開発しました。

 

 この他、STIRAPを行うに当たって分子の励起状態を分光した際に、浅く束縛された分子から励起状態への遷移強度が励起状態の波動関数を精密に計測する手段となりえることを示した(参考文献2)、STIRAPを行うための狭線幅光源を開発した(参考文献3)、といった成果が得られました。

 

※この研究は、東京大学工学系研究科・井上慎研究室(当時;現在は大阪市立大学理学系研究科)で行われたものです。

 

参考文献
1. Coherent transfer of photoassociated molecules into the rovibrational ground state
K. Aikawa, D. Akamatsu, M. Hayashi, K. Oasa, J. Kobayashi, P. Naidon, T. Kishimoto, M. Ueda, S. Inouye
Phys. Rev. Lett. 105, 203001 (2010).

 

2. Predicting and verifying transition strengths from weakly bound molecules
K. Aikawa, D. Akamatsu, M. Hayashi, J. Kobayashi, M. Ueda, S. Inouye
Phys. Rev. A 83, 042706 (2011).

 

3. Narrow-linewidth light source for a coherent Raman transfer of ultracold molecules
K. Aikawa, J. Kobayashi, K. Oasa, T. Kishimoto, M. Ueda, and S. Inouye
Opt. Express 19, 14479 (2011).

 

 


 
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